「板東英二さんって最近見ないけど、どうしてるの?」そう思っている方も多いのではないでしょうか。
昭和から平成にかけてお茶の間を笑顔にしてくれた板東英二さん。
実は2020年頃から芸能活動を事実上休止し、現在85歳で消息不明状態と報じられているんです。
板東英二さんが消えた理由と現在↓
- 2012年の申告漏れ問題:約7500万円の申告漏れが発覚し、2013年1月からテレビ出演を見送られた
- 2020年7月の転倒事故:80歳で頭部を強打し入院、これが決定的な引退のきっかけに
- 現在は消息不明状態:個人事務所を閉鎖し、家族とも疎遠との報道
- 若い頃は甲子園の伝説:1958年夏の甲子園で83奪三振の大会記録を樹立(今も破られていない)
- 中日で11年間活躍:77勝65敗・防御率2.89の好成績を残した
- タレントとして大成功:『世界ふしぎ発見!』に約27年間レギュラー出演
この記事では、甲子園の伝説的投手から人気タレントへと華麗な転身を遂げた板東英二さんの若い頃と現在を画像で比較しながら、なぜテレビから消えたのか、その真相を詳しく解説していきます!
板東英二のプロフィール|満州生まれの苦労人
まず最初に、板東英二さんの基本プロフィールをご紹介します。
実は彼の人生は、生まれた瞬間から波瀾万丈だったんですよね。

| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 本名 | 板東 英二(ばんどう えいじ) |
| 生年月日 | 1940年4月5日 |
| 現在の年齢 | 85歳(2026年1月時点) |
| 出生地 | 満州国虎林(現:中国黒竜江省虎林市) |
| 出身地 | 徳島県板野郡板東町(現:鳴門市) |
| 身長 | 168cm |
| 血液型 | O型 |
| 職業 | 元プロ野球選手、元タレント、野球解説者、俳優、司会者 |
| 活動期間 | 1959年~2020年(約61年間) |
この表を見ていただくと分かりますが、板東さんは満州国生まれなんです。
1940年といえば、まさに第二次世界大戦の真っ只中。
5歳の時に終戦を迎え、日本への引き揚げを経験しました。
この時の過酷な体験が、のちに有名になる「ゆで卵好き」のエピソードにつながるんですよね。
母親が「これだけは腐らない」とゆで卵を持たせてくれた思い出。
それが板東さんの心に深く刻まれ、生涯の好物になったというエピソードには、いつ聞いても胸が熱くなります♪
若い頃の板東英二|甲子園の伝説を作った投手
1958年夏の甲子園で打ち立てた不滅の記録
若い頃の板東英二さんを語る上で外せないのが、やはり高校時代の甲子園での活躍です。
私も資料を調べていて改めて驚いたのですが、この記録、本当に凄すぎるんです!

1958年、徳島県立徳島商業高校3年生だった板東英二さんは、第40回記念大会に出場しました。
そこで残した記録がこちらです。
甲子園での驚異的な記録
- 決勝まで全6試合を一人で完投という鉄腕ぶり
- 1大会通算83奪三振(2026年現在も破られていない大会記録)
- 準々決勝の魚津高校戦で延長18回を投げ抜く
- 翌日の再試合も完投し、合計で驚異の投球数
- 1試合25奪三振という参考記録も樹立
- 結果は準優勝(決勝で柳井高校に7-0で敗退)
特に語り草になっているのが、富山県立魚津高校との準々決勝です。
延長18回を投げ抜いて0-0の引き分け。
当時はまだナイター設備がない時代で、照明が点灯する中での死闘だったそうです。
そして翌日、再び同じ相手と対戦して勝利。
この過酷さがあまりにも問題視され、翌年から「延長18回引き分け再試合」というルールが制定されたんです。
つまり、板東英二という一人の投手が高校野球のルールを変えたと言っても過言ではないんですよね!
中日ドラゴンズ時代の活躍
甲子園での活躍を経て、1959年に中日ドラゴンズに入団した板東英二さん。
プロでの成績も立派なものでした。
| 年度 | 所属 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 主な役割 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1959-1963 | 中日 | – | – | – | – | 先発投手 |
| 1964-1969 | 中日 | – | – | – | – | 先発・リリーフ |
| 通算 | 中日 | 435 | 77 | 65 | 2.89 | 11年間 |
当初は先発投手として活躍していましたが、肩の故障もあり、後期はリリーフとしても活躍しました。
実は板東さん、日本プロ野球史上2人目の「一球勝利」を達成した投手でもあるんです(日本人投手としては初)。
これは1球だけ投げて勝利投手になるという珍しい記録なんですよ♪
王貞治さんや長嶋茂雄さんといった昭和の大スターたちと対戦した経験も持っており、まさに昭和プロ野球の生き証人と言える存在です。
板東英二はなぜ消えたのか?真相を徹底解説!
さて、ここからが本題です。あれほど人気だった板東英二さんが、なぜテレビから姿を消したのか。実は大きく分けて2つの転機がありました。
第一の転機:2012年の申告漏れ問題
板東英二さんがテレビから消えた最大の理由が、この税金問題でした。
当時のニュースを覚えている方も多いのではないでしょうか。
申告漏れ問題の詳細
2012年12月、個人事務所「オフィスメイ・ワーク」が名古屋国税局の税務調査を受けました。
その結果が衝撃的だったんです。
- 期間: 7年間(2011年8月期まで)
- 申告漏れ総額: 約7500万円
- 所得隠しと認定: 約5000万円(架空外注費など)
- 重加算税を含む追徴税額: 約2800万円
- 対応: 修正申告と追徴税の支払いで対応
この問題が発覚した際、板東さんは記者会見を開きました。
そこで飛び出したのが、あの有名すぎる釈明です。
「カツラは経費で落ちると聞いていた。ならば(自分の)植毛も経費だと思っていた」
この発言は大きな話題となり、今でもネット上で語り継がれています。
確かに芸能人にとって外見は商売道具ですが、国税局は植毛を経費として認めなかったんですね。
この問題を受けて、2013年1月から各テレビ局は板東英二さんの出演を順次見送ることを決定。『世界ふしぎ発見!』などのレギュラー番組からも降板となり、一時は完全にテレビから姿を消しました。
ただ、明石家さんまさんなどの助けもあって、2013年後半には芸能界に復帰。
しかし以前のような全国ネットの番組には戻れず、関西や中部地方のローカル番組、ラジオ番組を中心とした活動になっていったんです。
第二の転機:2020年の転倒事故と芸能界引退
税金問題から復帰したものの、細々とした活動を続けていた板東さんに、決定的な出来事が訪れます。それが2020年の転倒事故でした。
2020年の出来事の詳細
- 1月: テレビ出演がこれが最後となる
- 3月: CBCラジオ『板東サンデー』が突如終了(2年間のレギュラー番組)
- 7月中旬: 大阪市内の自宅近所で転倒
- 7月: 頭部を強打し、総合病院に緊急入院(検査入院)
- 7月22日: MBSラジオ『板東英二のおはようパーソナリティ』の収録に現れず
- 9月: 残っていたラジオ番組も終了
- 以降: メディアから完全に姿を消す
当時80歳だった板東さん。転倒して頭部を強打というのは、高齢者にとって非常に危険な事故です。
事務所関係者は「年齢も年齢ですし、念のために大事を取って検査もしようと1日検査入院の形を取りました。今は大丈夫です」と話していましたが、その後の活動はありませんでした。
この事故がきっかけで、板東英二さんは事実上の芸能界引退となったんです。
2024年以降の消息不明状態
2024年になると、板東英二さんの現状はさらに心配な状態として報じられるようになりました。
現在の状況(2024年~2026年の報道より)
複数のメディア報道をまとめると、こんな状況のようです。
- 個人事務所「オフィスメイ・ワーク」を閉鎖
- 消息不明状態が続いている
- 高校の同級生が電話しても繋がらない
- 実姉も「消息不明」「死んでいるかも」と危惧している
- 長女とは絶縁状態という報道
- 取材に対し「わかりません。ウチはもう何の関係もないので…」と回答
- 都内で親族の支援を受けながら生活しているという見方も
- 認知症の可能性を指摘する声もあるが確定情報ではない
2024年3月にTBSドラマ『不適切にもほどがある』で板東英二さんの名前が何度も登場したことで、改めて「今どこにいるの?」と話題になりました。
また、同年4月に放送された『世界ふしぎ発見!』の最終回謝恩パーティーにも、VTR出演のみで本人は欠席していました。
現在85歳という高齢であることを考えると、静かに余生を過ごしている可能性が高いと思われます。
ただ、家族とも疎遠になっているという報道は、なんとも切ないですね。
若い頃と現在の板東英二を画像で比較
ここまで板東英二さんの人生を追ってきましたが、やはり「百聞は一見に如かず」ということで、若い頃から現在までの変化を画像で見てみましょう。
高校時代・プロ野球時代(10代後半~20代)

若い頃の板東英二さん、本当にカッコいいですよね!精悍な顔立ちで、いかにもスポーツマンという雰囲気。
甲子園で活躍した18歳の頃は、まさに青春そのもの。目がキラキラしていて、夢に向かって突き進んでいる感じが伝わってきます。
中日時代の写真を見ても、凛々しい表情でマウンドに立つ姿が印象的です。
王貞治さんとのツーショット写真なんて、今見ても貴重すぎますよね♪
タレント全盛期(30代~70代前半)

タレントとして活躍していた時期の板東英二さんは、明るい笑顔とトレードマークの髪型(植毛)が印象的でした。
『世界ふしぎ発見!』のレギュラー回答者として、お茶の間の人気者だった頃ですね。
この時期の板東さんは本当に輝いていました。
バラエティ番組での軽妙なトークや、ドラマでの演技など、マルチな才能を発揮していたんです。
元プロ野球選手がタレントとして大成功するという道を切り開いた先駆者でもあります。
晩年(70代後半~80代)

晩年の画像を見ると、やはり年齢を重ねた様子が分かります。
2018年に甲子園で行われた「レジェンド始球式」での姿が、公の場に出た最後の方の姿だったようです。
ワンバウンドの投球になってしまい「やっぱり年かな」と本人も話していたそうですが、78歳でマウンドに立つ姿は、やはり元甲子園の英雄として感動的でした。
若い頃の凛々しい表情から、タレント時代の明るい笑顔、そして晩年の穏やかな表情へ。
時の流れを感じずにはいられませんが、それぞれの時代で全力で生きてきた証だと思います。
まとめ
さて、ここまで板東英二さんの波瀾万丈な人生を追ってきましたがいかがでしたか?
改めて、なぜ彼がテレビから消えたのか、そして現在の状況をまとめてみましょう。
板東英二さんがテレビから姿を消した理由は、大きく2つの転機がありました。
まず2012年の申告漏れ問題。個人事務所で約7500万円の申告漏れ(うち5000万円が所得隠し)が発覚し、重加算税を含めた追徴税額は約2800万円に。「植毛も経費」という発言が話題になり、2013年1月から各局が出演を見送りました。復帰後もローカル番組中心の活動となりました。
そして決定的だったのが2020年7月の転倒事故。当時80歳で大阪の自宅近くで転倒し頭部を強打、入院。これをきっかけに残っていたラジオ番組も終了し、事実上の芸能界引退となったんです。
若い頃の輝かしい姿と現在
- 甲子園で83奪三振という不滅の大会記録保持者
- 中日ドラゴンズで11年間活躍(77勝65敗・防御率2.89)
- プロ野球選手がタレントに転身する道を切り開いた先駆者
- 現在85歳で消息不明状態、都内で静かに余生を過ごしている可能性
板東英二さんが私たちに残してくれた数々の笑顔と記録は、これからも語り継がれていくはずです。
あの明るい笑顔と「ゆで卵大好き!」というキャラクターは、私たちの記憶の中でずっと生き続けます♪
どうか穏やかな日々を過ごされていることを、心から願っています。

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